牡鹿半島 大原浜

6月17日から19日まで石巻に震災ボランティアに参加してきました。

 

看板屋仲間で、埼玉県にイサミさんという友人がいまして、震災があった翌々日3月13日に私の家まで

見舞いに来てくれた方です。彼の行動力にびっくりもし、感動していました。

人の為に動くとは、距離でもなく、思いの強さなんだと教わった気がしていました。

 

彼から震災ボランティアに参加しませんかと誘いがありましたので、悩まず手を挙げました。

 

看板屋は、結構器用で、被災地にはとても役に立つからと彼の持論を真に受けて、ウエルダーと

穴堀道具を一式と現場で何か標識みたいな看板が必要な時は書いてあげようと、水性の絵の具も一式、トラックに積み込み、出発しました。

 

まずは、常磐道・磐越・東北道を経て、他のメンバーとの集合場所の矢本パーキングへ一路車を走らせた。

 

 

今回のメンバーの紹介。

 

埼玉県のイサミ看板店のイサミさん。(現地では安さんと言われている)

三重県の奥山黒板株式会社のこくばんマンさん。

岐阜県のリン巧社のリンちゃん。

そして、あいおと名乗っている私の4名での参加となりました。

 

イサミさんはGWにも手伝いに来ている。

ボランティアとは一度でお終いなのではなく、ずっと復興までつづくのである。
行って、その理由がわかりました。

4人が集合して、いざ石巻専修大学を見学。ここが石巻のボランティアの本部である。
石巻に入った途端、異臭が頭の芯に触れて来た。

そう磯の匂いに、魚の腐敗臭に、油の匂いが混ざりあって、その地を包み込んでいるのだ。

 

それでも、嫌な顔も出来ず、普通を装って、街中を走りまわった。

石巻専修大学に到着し、イサミさんの丁寧な説明で、ボランティアの一日のスケジュールを把握。

また、今置かれている石巻とこれから向かう牡鹿半島の大原の現状を聞いた。

まずは、3台連なって、石巻を抜け、牡鹿半島へ。 

 

急カープが続く道路で、地震での亀裂と凸凹の道路に注意しながら、30分は

走って、目的の大原に着くが、まずは現場への泊浜・谷川へ。

太平洋側で、もっと震源地に近く、 泊浜は家のなく、全て津波に飲み込まれた浜なのである。

残ったのは、大量の砂と家の土台だけである。60世帯中津波を受けなかったのは、一軒。

唯一津波が届かなかった家からは、海を直接は見えない、ずっとずっと離れたところなのである。

 

8名が尊い命を飲み込んだ津波は、もっとも入り組んだ山奥のお寺まで到達していたのだ。
石碑を建ておなしているところがそのお寺です。

震災まじかの時はそこは一面砂だらけの海岸になっていたと説明をうけた。

消防車が無惨にもゴム鞠のように壊れていた。

 

お寺の復興を任されているのは、そこの大工さんの棟梁の大形さんで、昔ながらの職人気質か、ピリピリと現場をしっかり把握していた。が、使える重機も無く,二日後の慰霊祭までには、ここをある程度綺麗にしてあげなくてはと悩んでいたようだった。

そこに現れたのが、看板屋では珍しい重機も使いこなせるリンちゃんの登場である。

大形さんの読み取れずらい、訛った指示でも、テキパキと重機に強いリンちゃんが動きだした。

 

昭和8年の昭和三陸地震の津波での犠牲者への慰霊碑がまずはもとの場所に建った。

 

もう少し作業はしたかったが、今夜は落語家の三遊亭京楽さんの口演があったので、早めに終了となった。

 

二日目は、ユンボも入り、リンちゃんが大きな残骸を黒板マンさんが運転するトラックに積み込み、綺麗にして行った。

 

山梨県から来ていた、チェンソーの使い手のおっちゃん達は、傾いたり、折れ曲がった竹を綺麗に切って、片づけて行った。竹の間に挟まって、際立っていた青や黄色のブラッチック用品をイサミさんは自らかき出しては捨てさせた。


そんなこんなで、二日目は多くのボランティアさんの参加で、お寺は見違えるほどに綺麗になった。
作業終了時、そこの住職さんがこのお寺の由来とお礼の言葉で無事終了しました。 

 

明日の慰霊祭に間に合ったようだ。棟梁の眉間の縦の皺はいくらか浅くなったようだ。



 

 

 

上の写真をクリックすると、牡鹿半島に飛びます。ストリートビューをお楽しみ下さい。

ストリートビューで、県道2号線沿いの防波堤や町並みの震災前の写真が見られます。
とても穏やかで静かないいところです。

 

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3日目。

帰る日曜日もやはり綺麗にしていきたい看板屋は、防波堤に絡まっているロープを見つけては、

少しでも片づけて帰ろうと、踏ん張っていた。

 

棟梁も現れて、ここまでしなくてもいいよと、今日は日曜日だからと止めようとしたものの、終いには一緒に片づけていた。 

 

テキパキ動くリンちゃんは、棟梁の友人になった。指示せずとも動く職人同士の固い友情である。

 

そんなこんなの三日間でした。
 
この区長さんや漁師のおやじさんやお花を作っている農家のおっちゃんと楽しい時間を過ごせました。

 

また、近いうちにこの大原浜に片づけに訪れようと思います。
是非、この素敵な大原浜に一緒に来てみませんか。

 

素敵な棟梁や優しい区長さんを紹介します。
ストイックにするボランティアの姿も一つですが、地元の方達と会話し、交流しながら、 元気な明日を思いながら、ゴミを拾ってみませんか。

ご興味を持った方は、増子までご連絡下さい。

 

ボランティアの予定が組み次第 、ご連絡を差し上げます。

 

 

宮城県と福島県

19日お昼を過ぎに、大原を後にした。

 

ずっと行こうか悩んでいた南相馬と飯館村を回って帰ってきました。 

 

震災と原発の影響をうけたここは、静まり返った場所になっていました。

本来なら青々しい田んぼ風景が当然の田舎なのだが、稲ではなく、雑草畑になっていた。
人の姿もなく、見かけたとして元気の無い、痛々しお姿に見えてしまった。

その町ののぼりには、震災ではなく、風評被害に頑張ろうという文字でした。

 

大自然からの被害を受けたのは同じだとしても、その後の原発は、奮い立たせようとする復興の思いを

砕いてしまったのだ。住めなくなった村に、将来が見えるはずも無く 、空元気さえ無くさせてしまったのだ。

 

深刻なのは、宮城県ではなく、きっと福島県なのである。

 

余談

二日目に自動車の鍵を紛失してしまった私は、意気消沈していた。

その私を励ましてくださったのが、この大原の区長さんで、一緒に落としたかもしれない場所まで行ってもらった。親身に動いていただけた事が嬉しかった。助けにいったつもりが、助けていただいた。

 

結局は見つからなかったが、ボランティアに来ていてくれた自動車のメカニックのHさんに助けてもらい、

石巻まで鍵がなくても動けるようにしてもらった。感謝!


絵も書きにきたが、恥もかきにきてしまった。笑

少しは、地元の方々に印象が残ったかも。泣 

 

今度行く時は鍵を2個持って行こう。

 

石巻で鍵を無くした時は、鍵商さんをご紹介しますね。

 

アイカギの鍵商

 〒986-0814 宮城県石巻市南中里3丁目15−19

0225-96-1211